気になった寝屋川市のお話~太間の謎~

送迎などで寝屋川中を走っていると気になることに遭遇することがある。

でも、仕事中なのでなかなか確認しないまま、忘れてしまう。そして次回に通ったときにはやっぱり気になってしまう。そんなものを時々調べてみようってコーナー!

☆太間公園(淀川の河川敷)にいくと、こんな地名がある。

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「絶間橋」

あれ?太間じゃなくて??絶間で”タイマ”って読むのか?それとも昔はこの字だったのか??と毎回、疑問に思っていました。

調べるいると・・・こんなサイトが見つかったのでご紹介

寺前治一 寝屋川史話100題

寝屋川市の歴史にまつわる話が100題紹介されています。グーグルマップも貼り付けてあり、散策にもちょうどよい!

そこに知りたかった謎の答えがそのまんま乗ってましたw興味ある人は全文読んでみてくださいな。

No.007「ころもの子絶間」

簡単にいうと絶間はタエマと読み、現在の太間の地名はタエマがなまって、タイマになり、その音から字を当てて太間になったというです。

由来をかいつまんで言うと、昔、淀川の堤防(茨田堤)に切れていた場所が2箇所あって困ってた。当時の帝が神様のお告げで、ある2名の人物を人柱にしたら堤防の切れ間がなくなるって話をきいた。一人は素直に人柱になってしまった、武蔵国の強頸(こわくび)、もう一人が知恵を利かせて人柱にならなかった、河内国の茨田連袗子(まんだのむらじころものこ)って人。それぞれが担当(?)した堤が切れていた場所を名前にちなんで「強頸絶間(こわくびたえま)」、もうひとつを「袗子絶間(ころものこたえま)」と呼んでいたそうです。そんでもってそのうち袗子絶間が絶間に。さらになまって、太間になったそうな~

この話、あの日本書紀に載っている話だそうで、淀川の堤防と寝屋川ってそんな昔から切っても切れない関係なんだなーっと感心してみたりして(笑)

それに袗子さんがいなかったら、淀川の堤防は未だに、切れっぱなしだったかもよ!!

kawaguchi 佳十 けいと 義十 あきと 一緒に公園とか行こうな!